「美術と市場について」Vol.2 1 2 3
白川昌生
「古代人の「権威」に従う限り、人は「借り物の富」ないし「輸入品」に甘んじざるをえない。それゆえに、美術家は、自己の生得的能力を耕すことで自ら作品を生 産する必要がある。換言すれば、生得能力の耕作こそ、富の源泉とならなくてはならない。そのとき初めて、芸術家は自分の作品に対する「所有権」を獲得する ことになる。」
(『芸術の条件』小田部胤久、東京大学出版会、p.26、2006年)
このように小田部は、18世紀以前における芸術家の作品へ対する意識的変化と生得能力という、非歴史的根拠の提示について興味深い分析をしている。カント
が出てきて以降の美学においては、生得能力は天才という概念におきかえられてゆく。いずれにしても、作品の「所有権」についての明確な自覚が、生得的能力
を耕すことによってという、経済的な効果、結果をふまえて生まれてきたことには注意をしておく必要がある。
つまりマルクスがやがて『資本論』の中で展開してゆくであろう、資本生成の運動と、現実的な資本主義経済の発達とが相関的にからみ合いつつ、工業化社会
への移行をうながしたことを理解するならば、その運動のひとつの根拠になった「私的財産の所有」という概念と、小田部が美学史の中でとりあげた「生得能力
を耕して得られる所有権」とは、ぴったりとはりついたひとつの経済概念から生まれたと言うことができる。つまり生得能力を耕して——自己の「労働」によっ
て、自らの能力、土地を豊かにし他にない生産物をつくり出すことは、18世紀末から19世紀にかけてすでにヨーロッパ列強国内における中心課題でもあった
のだ。産業革命、フランス革命はいずれもこの個人の「所有権」の正統性を近代的な意味において、つまり「労働」によって個人が入手できうる「権利」として
認めさせる流れを作りだしたのである。
「借り物の富」や「輸入品」に頼らないで、独自に商品を開発、生産、流通させ利益を自己と自己周辺において再生産させてゆくことは、19世紀になってか
らはますます重要な国家経済、産業の中心課題となってゆく。その延長線上にこそ、1851年のロンドンでの第一回万国博覧会が登場してくるのである。
つまりここでは国家—経済—産業の課題が同時に美学の課題でもあるような、重層的関係がある。生得能力というものが、古典や伝統といった過去の権威を必
要としないならば、その能力はいずれ、過去の価値体系に代わりうるような世界観を自らの手によって捏造しなければならなくなる。この自己再生産的な運動
が、ロマン主義であり、近代意識の自覚化と過去への切断をうたいあげたものとして理解できることを、小田部のみならず仲正昌樹らの近代批判をふまえた研究
者の共通の姿勢であることをさらにここで注目しておこう。
私が考えようとしている「市場」という場は、単純に経済、商業的空間なのではない。むしろ経済、商業的関係が文化において不可分の条件として組み込まれ
ている事実を認識するところから出発すべきなのである。「市場」は、商業と象徴資本とが同時に再生産され、取引、流通する場である。まさに小田部の「生得
的能力を耕すこと、富の源泉となる、所有権を獲得する」という一連の概念体はすべて相互に連動しており、経済—文化の共犯的関係を明らかにしているのであ
る。
P.ブルデューが『ディスタンクション』『芸術の規則』の中で問いかけた「趣味」へ対する社会学的批判は、カントの『判断力批判』の欠落部分を指摘する
形で、分析はすすめられている。このブルデューの視点も、小田部の批判的美学史研究と重なり合うものである。
「芸術作品」と「労働」「所有権」そして「価値評価」といったきわめて近代的な群概念は、18世紀末より19世紀の中頃において生み出されてきた株取引
における「先物買い」の方法に組み込まれることで、よりラディカルな商品へと変身をはかることを可能にした。つまり近代美術作品——印象派美術作品にから
む商業取引と、値段の変化、上昇というものは、限りなく美学理論、評論、美術制度そのものの近代的成熟をうながし、押しすすめたのであって、まさに「市
場」が印象派を人工的に作りあげ、それを「市場」へ投げ込み、さらに「市場」がそれを商品として認知し、全世界へグローバルな「市場」形成への第一歩を美
術によって作りあげたのである。
ここでは「市場」は近代国家群をまきこんでおり、ミレーの《晩鐘》がフランス→ベルギー→アメリカ→フランスと、まさに『資本論』の商品分析の回路その
ままに流通してゆくとき、最終的には200倍以上の価値と「国宝」という呼び名を生産してゆくのである。同時に近代美術史はヨーロッパ/アメリカという、
差異を時間的、空間的にも生み出す場所をかかえこみながら自らの歴史の正統性をその両者にまたがった形で語りはじめるのである。
まさに現代美術とよばれるジャンルは、この差異の中から生み出されてくるのであって、それ以外の場所ではない。M.デュシャンの軌跡がそれをはっきりと
示している。生得能力の耕作の正統性、根拠そのものを問いはじめたデュシャンにとって、富の源泉は個人の作家ではなく、作家と制度、歴史、社会といったそ
の関係性の存在する「間」にこそあり、その自明さを提示することは必然的な行動であったのだ。マルクスの言うように「価値」は流通の中から生まれるという
ことである。運動の中から(不可逆的な自己再生産のパラノイア的な運動)、それは生まれるのである。その運動が形成してゆく場こそが「市場」とよばれる。
(2006年5月16日)
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