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中村錦平氏インタビュー「東京焼」を語る 3    1 2 3 4 5

<魯山人のモダニズム>

C:そうですね。それは、ある意味では、柳宗悦あたりが敷いた路線、それを伝統の革新としていまだに踏襲しているということじゃあないんですか。ところが、錦平さんのようなやり方、古九谷の方法に則っているにもかかわらず、それは伝統ではないというのは、結局、伝統工芸に対する意識が、そこでずれているんじゃないかという感じはしますよね。僕はちょっと初代宮川香山(註9)に興味を持っているんですが。

N:宮川香山といえば、手わざもここまでできるの、という‥それについては2つの見方ができると思う。1つは、そういうものがこの世からなくなった今、「あれは素晴らしかったね。今の我々にできるかしら」というような振り返り方、必ずするね。例えば5年10年前のものは、どうしようもなく時代遅れになっていく。それに対して、単位が100年くらいまで古くなってしまうと、ものすごく今の時代を衝くものを持っているではないか、どうしてあれを見過ごしているんだ、と、またまた今の時代を照り返してくる。見え出す、今それですよね。

C:そうですね

N:なんでそんなこと言うかというと、僕が20歳前後の頃、1950年代には宮川香山ばかりじゃなくて、加賀蒔絵(註10)も、九谷の様式も、仁清(註11)の作域も、手わざを尽くしたものは全部古臭くなった。それらを超えなければ新時代は拓けない、という思想に出会ったのが、僕らの世代。それは言ってみれば、建築家のアドルフ・ロース(註12)の『装飾と犯罪』、それからミース・ファン・デル・ローエ(註13)の『LESS IS MORE』。プレーンなものにこそ現代性があり、装飾は犯罪だ、みたいなことに共鳴した。機械化されてモダニズムが「これぞ新時代の価値観だ」というような時代に、宮川香山は時代にそぐわない。加賀蒔絵もそぐわないという風になった。みんな捨てて、そういうものができなくなった、持たなくなった時に「あれはまた今の時代にないものを持っているんじゃないか」という‥

C:いつの時代もその照り返しは‥

N:持ってたんじゃないかな。そんなに宮川香山が素晴らしければ、宮川香山が亡くなってから惜しんで、その後ずっと惜しみ続けて、後継者が育ってていいはずなのに、育たなかったということは、われわれが一度はモダニズムと共に彼らを否定したんですよ。2つは、あれは機械化される前の人間だからこそ作り得たものだということ。僕の家の職人だって、魯山人に引っこ抜かれるくらいの素晴らしい職人さんがいましたけど、その人達は、機械化される前に登場してきて、「作る」といえば手しかない時代の人ですよ。これ言うと負け惜しみっぽいけど、そうです。例えば、今みなさんが書いているのはボールペンで、です。宮川香山の時代は間違いなく筆でしたね。墨摺って、筆で和紙に、滲み具合と濃さを、調整しながら書く。八百屋のおっさんだって、魚屋のおっさんだって、通い帳に墨で書いてたんだから。それが今ボールペンになって、ワープロになって‥今はもっと書けなくなってる。そういう機械のない時代に育った人。だから今だってバイオリンの勉強するのは3歳ぐらいがいい、と。機械化される前の時代を3歳くらいから体に馴染ませれば、もう書を書くのと同じように、ロクロ挽くのも、宮川香山式のつくりをするのも、ものすごく身近なところにあったと思うんです。その後時代を下って、例えば信楽(註14)の観光客土産店で、笹山央さんの娘さんが焼き物のお店やってたことがあるんです。すごく印象的だったのが、ロクロあんまりきれいに挽いてあると、買いに来た人が「これ機械物ですか?」って言う(笑)。機械の方が同じできれいにやることに長けている。宮川香山を機械でやれるかっていうとやれないけど。逆に言えば、俗っぽい言い方するとヘタウマじゃないと手でやってないんじゃない?機械製品じゃない?と言われる時代になってしまっている。そういう文明あって、明治に向かって歯車の逆転は無理。宮川香山を読みがえしたいのなら、情報化文明を理解した、アートとしての視点の導入によってですね。それしかない。それを「技」の側から再びおっかけをやると、間違いなく人間国宝制の轍を踏む。

C:そうですね。きれいに挽いたものよりも、若干いびつなものだとか、挽いたものをわざとくずしているものを、皆さん「いいわね」と求める

N:そうですよ。それの早い走りが魯山人(註15)でしたよ。魯山人の一生を見るとよくわかりますけど、戦前のものは、写しの美学でしたよ。仁清風もあれば、乾山(註16)風もあれば、織部(註17)風もある。敗戦で価値観のでんぐり返しがあって、モダニズムで個性や独創性に価値を見るようになった。そこで魯山人は、戦後になり、モダニズムの価値観をとり入れ出した。出したといえども、江戸や桃山から引っ張り出したものではあった。あの時代からモダニズムの思想が、河井寛次郎(註18)とか八木一夫(註19)に著しくモチベートされだした、という感じがしてますけどね。

C:魯山人だとか、走泥社(註20)的なものというのは、逆にモダニズム的な意味での手わざというものを持ち出してきているんでしょうね。

N:そうですね。焼き物の世界では京都の八木一夫らを通してモダニズムが敗戦によって日本に本格的に定着したと思うんですよね。それを僕は金沢にいたから、体験してないんですよ。ずるずると昔が存在し、これまたずるずるとモダニズムがはいってきていた。その中でやってたら八木一夫らの第1期が終わって、まぁ僕のような者が、発信できる時代がやってきた。

C:結局、自分の居場所とは別のところにそうした走りがあったから良かったのかもしれないと。

N:そうなんだよ。走る力もなかったし、見抜く力も僕にはなかったと顧る。金沢に生まれると、そうなりますよ。さっき在野がないところ、後追いのところだって言いました。京都には強い在野があった。

C:特に京都というのは、時代的にも地理的にも、在野を求めるところがある。

N:あの時代をみると、みんなものすごく、どんでん返しをやって、あらゆるジャンルで八木一夫的なアピールをやっている。金沢にはゼロですから。僕はそれを知らなかったんですよ。だから本当の意味でのモダニズムとの葛藤を得ないままで、伝統背負ってて、それがまた使いようがあるなぁ、という時代に遭遇したんじゃないかな。



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—註—

9)宮川香山:陶芸家(1842−1916)。本名は虎之助。京都に生まれる。父、真葛長造に陶技を学び、明治3年(1870)頃横浜に移り南太田に開窯。はじめ薩摩焼風の輸出品を焼いていたが、のち作風・方針を一変して、精巧あるいは創意に富んだ意匠のものを作り好評を得た。明治29年帝室技芸員。2世香山とともに明治時代の窯業に貢献した。
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10)加賀蒔絵:3代藩主利常が、京都から五十嵐道甫(当時の日本漆芸を代表する京都の名工)をまねいて、技術を伝えたのが始まり。大名が使う道具から発展した工芸。
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11)仁清:仁清焼。京都の仁和寺の門前で作られた陶器。万治(1658−1661)の頃、野々村仁清が焼き始めたもので、京焼の代表的存在となった。主として色絵や単色釉の茶道具で、風流な趣がある。
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12)アドルフ・ロース:オーストリアの建築家(Adolf Loos, 1870-1933) 。20世紀初頭に装飾を否定した先鋭的な言説とデザインによって知られる。『装飾と犯罪』は「実用品の装飾は犯罪である」という主張で知られるロースの代表作。
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13)ミース・ファン・デル・ローエ:ドイツの建築家(1886−1969)。グロピウス・ル=コルビュジエとともに近代建築を開拓。鉄とガラスから成る高層建築の様式を完成。後にアメリカで活躍。
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14)信楽:信楽焼。信楽地方から産出する陶器。鎌倉時代に常滑焼の影響のもとに開窯し、農具や雑器を製出。室町時代に及んで茶器を焼いて有名となる。
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15)魯山人:北大路魯山人。書家・陶芸家(1883−1959)。名は房次郎。京都生まれ。はじめ書・篆刻で名をなし、のち料理・食器の研究・製作にあたる。古陶磁を範に、美濃、備前、信楽、染付、赤絵など多彩で斬新豪快な飲食器類を盛んに制作した。
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16)乾山:尾形乾山(1663−1743)。江戸中期の陶工・画家。京都の人。技法は仁清に倣い別に新意を出した。兄光琳が絵付に加わる。作陶は雅趣があり、茶人が愛玩。のち江戸で製した
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17)織部:織部焼。安土桃山時代、慶長年間、から江戸時代前期にかけて、美濃で焼かれた斬新奇抜な加飾陶器の総称。古田織部正重然の指導によるといわれる。非対称の自由な造形、大胆な釉のかけ分け、自由な絵付けなどが特徴。
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18)河井寛次郎:陶芸家(1890−1966)。島根県生まれ。民芸運動に参加。辰砂など釉の技法に優れ、陶板・陶彫など独創的造形を試みる。
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19)八木一夫:陶芸家(1918−1979)。1948年、鈴木治らとともに「走泥社」を結成し、抽象陶芸の先駆者として活動を開始。その展開は、陶芸界における先鋭的な活動として注目を集めた。
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20)走泥社:八木一夫、鈴木治、山田光ら京都在住の陶芸家によって昭和23年(1948)に結成された前衛陶芸作家のグループ。伝統的な陶芸の形式を破り、実用的機能をもたない純粋に造形的な「オブジェ焼」の創造を目指して注目された。
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