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中村錦平氏インタビュー「東京焼」を語る1    1 2 3 4 5

<東京で焼くということ>

Complex(以下、C):『東京焼−自作自論』を拝見しました。内容とだぶるかも知れませんが、先ずお聞きしたいのは、やはり錦平さんがよくおっしゃる「東京焼」ですね、この成り立ちというかなぜそうせざるを得なかった、またなぜそれをネーミングしたかという言うことをちょっと簡単にお願いします。

中村錦平氏(以下、N):一言で言えば、東京で焼いているからです。現代陶芸だとかオブジェ焼きだとか、なんか、そうゆう一般的なのでなくて僕自身の焼き物っていうのをアピールする名前は何かないかなというふうに考えていたのです。1988年の「日本趣味解題」という展覧会のカタログのため、何で日本趣味の解題なんだと書いていたときに、自己紹介する段になり、東京は青山の建物の地下で焼いている、正真正銘の‥っていって、さらさらって東京焼って出てきて、「あ、これだ!」って思った(笑)。あそうそう、それに続いて粘土は宅配便で間に合っています、と続いた(笑)。かつて、京焼。時代下って、「東京焼」で21世紀を衝く、という気概、もっていたい。

C:特に、僕なんか感じたのは、土の問題がね、一番印象に残っている言葉かなぁと思って。

N:あぁ、宅配便で間に合ってます‥

C:そう。つまり、焼き物って、地場産業的なところがありますよね。

N:ですよね。

C:その土地の土を使っていることを妙にありがたがるというところがある。

N:そうですよね。

C:東京の土っていうのは、土が無いから逆にいいのではないかな、と思いまして。

N:そうなんです。宅配便による土は極めてニュートラルなので、由緒ある土を信奉し、それによりかかるのではなく、その対極、「自分の現在」の工夫を先行させやすい。それについて思い出すことがあります。学生と研修旅行に行ったときの、多治見(註1)の業者さんによる多治見と瀬戸(註2)を比較した話です。瀬戸は斜陽気味だけど、多治見のほうがいいんですよって。これ15年か20年前の話ですけど。そのときの理由が、瀬戸はあの大きな大きな土堀場所、ブルドーザーが下のほうに小さく見える所ありますね、あの辺りからのみ採ってきてやっているのに対して、多治見は土が無かったから、輸入の土をブレンドしているんです、で、これが強みとなって、日本の70%を生産している、ときた。あぁやっぱり時代はもうそうなっているんだと痛感した。続いて、レンガ工場を訪ねたら、コンピューターで制御したトンネル窯で焼いている。で、その時、5種類の粘土をブレンドするんですよって。なんでですか、と聞いた。粘土っていうのは自然のものですから、それぞれに特徴がある。5つ混ぜておくと、5つのうちのどれかが変わっても、オートマティックにコンピューターが対応する、と。あれぇ、ハイテクの時代は焼き物の原料にまできているんだという印象が、根にあって。それで、宅配便で間に合っている掘り出し場所不詳の‥、と、どんどん出てきた。ちょっと、作務衣なんぞを着て、自然を愛し、土を愛すという人には極めていやみな言葉なんですけど、現代文明の方は、もう既にそういう風になっていて、僕がはったりかましているわけでもなんでもなくて、状況として、これはやっぱり自分の立脚点として知っているべきだと。
それで、今提髪さん言われたように、土もそうなら、窯も、昔は自然の傾斜地を探して、そこに登り窯(註3)を作って、薪が身近にあるところ。という手仕事文明に基づいたものだったのが、今聞くところによると、薪を切るということが自然破壊につながるというような問題が出てきている。ますます都会で「時代そのものを素材にする」ことにアートとしての焼き物の必然性がでてきたのではないか、と。薪のために木を切ってやること自体が、もう懐古的な特殊な手段になりつつあることを意識していてもいい。

C:そうですね。かえって、例えば、それこそ、作務衣着て、地場に土を探して、そこで焼くという方も結構いらっしゃいますけど、それをもてはやすのは、逆にアンチモダンに見えながら、僕は逆にそれがモダニズムであって、むしろ、そうではなく、ブレンドされた土を使うということのほうが、現代というものを浮き彫りにできるような感じが僕はするんですよね。何にしろ、アートにとって大切なことは時代が何よりの素材なのですから。

N:そうですね。おっしゃる通り時代が素材なのです。

C:だから逆に、錦平さんみたいな仕事が、地場産業的なものを信奉している人たちに、非常に説明しづらくなってきます。

N:あぁ、そうか。

C: 一見、こう、モダニズムに沿っていくように見えてしまうというところが、電気を使い、ブレンドの土を使い、ところが本質的にはそうではなくて、というところはありますね。

N:ありますね。僕らはもう、情報化文明の時代に入ってしまっているわけですよね。その中で、土だ、火だ、何だといっているのは、時には、懐旧的時代錯誤に陥りかねないという怖さがすごくありますね。まあ、僕は70だから、もう時代錯誤の言動で死んでいけば良いんだという気もしていますけど。というのは、じいさんらしくていいなぁという。もう、年取っていつまでも若々しく時代を先取りしようなんて思うのは、じいさんらしくなくて、じいさんは、意固地で皆さん持て余すことによって、抵抗体を作って差し上げることが理にかなってるという気もあってね、なかなか複雑なんですよ。

C:そうですね。

N:そうは言うけど、自ら古いと分かりながらやるのも不本意で、というとこもあって。なかなか難しいんですよ。



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—註—

1)多治見:岐阜県南部の市。多治見焼は美濃焼の別称で、美濃国(岐阜県南部)から産出する陶磁器の総称。
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2)瀬戸:愛知県北西部の市。瀬戸焼は、瀬戸市およびその周辺から産する陶磁器の総称。付近の丘陵に陶土を産し、燃料の黒松が多い。鎌倉時代に加藤四郎左衛門景正(初代藤四郎)が宗に入り陶法を伝来し、日本の陶器の起源をなしたといわれる。室町時代には製陶の中心地は美濃に主流が移り、瀬戸黒、織部焼等桃山時代を代表する陶器が作られた。当時は、瀬戸から美濃を包括する広域の窯について瀬戸焼といった。江戸初期に再び瀬戸に中心が移り、江戸後期1822年加藤民吉が有田より染付磁器の製法を伝えて以来、旧陶器を「本業」というのに対しこれを「新製」といい、本業にかわって瀬戸焼の主流をしめるようになった。明治以降、西洋の陶技も取り入れ、いわゆる「瀬戸物」の語源となったほど、日本で最も盛んな製陶地である。
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3)登り釜:陶磁器を焼く窯の一形式。山麓の傾斜に沿って粘土で階段状に築き、下室から漸次に上室へ焼き上げるもの。上室では下室の余熱を利用。熱効率が良く、大量の焼成が可能である。燃料には薪を使用。
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